ゆかりの地
運営者が撮影した写真-
幕末・維新
井伊側の色目鏡 ―― 安政五年十一月、水府事情探聞書と魔手が水戸に及ぶまで
安政五年(1858年)十一月。一綴りの風聞書が、井伊直弼の側に置かれていた。表題は「水府事情探聞書」。 -
幕末・維新
養君発表の六月朔日 ―― 安政五年、名を伏せた幕府と川に阻まれた京都の返書
安政五年(1858年)六月朔日。江戸城に例のとおり登城した御三家(尾張は断り)、御両卿、溜詰の面々が居残りを命じられた。 -
幕末・維新
文久三年二月の京都 ―― 諸大名召集と攘夷の演達
文久三年(1863年)二月十六日、朝六半時(午前七時)。政事総裁職の松平慶永が門を出た。初めての参内である。 -
幕末・維新
勅諚回達の二つの案文 ―― 安政六年六月、徳川斉昭が書いて出さなかった手紙
謹慎中の徳川斉昭が、二通の案文を家臣の前に置いた。そこに側用人の久木直次郎と、奥右筆頭取の原田八兵衛が加わった、と蘇峰は記す。 -
幕末・維新
引き込む、と小栗は書いた ―― 文久元年七月、対馬から帰った小栗忠順の五通の手紙
手紙の用件は一つ、「今日ふい引込の儀」であった。 -
幕末・維新
将軍の息のあるうちに ―― 安政五年七月五日、井伊直弼の尾水越処分
井伊直弼はいつもの刻限に登城し、この日の退出は夜九半時、午前一時に及んだ。理由は、将軍徳川家定の脚気が悪化したことであった。「公方樣御脚氣之御症にて、御勝不被遊」——将軍の脚気は重く、すぐれない、というのである。その夜、… -
幕末・維新
「奉恐入候」の楯 ―― 安政五年六月二十三日、徳川慶喜の井伊直弼詰責
安政五年(1858年)六月二十二日。江戸城から退出した一橋家の家老が、屋敷に戻って主人に一枚の書取を差し出した。幕府が勅許を待たずに米国との条約に調印した、という達しである。 -
幕末・維新
御違勅の三字 ―― 安政五年六月、徳川斉昭の建言と井伊直弼の答書
江戸の水戸藩邸で、徳川斉昭が一通の伺書に筆を入れている。その返事である。 -
幕末・維新
井伊直弼大老となる ―― 安政五年四月、四時間の密談と就任の日
正午をまわった頃である。井伊邸に一人の来客があった。徒頭の薬師寺元真。御客番の小野田小一郎が応対に出る。「御上之御一大事」を申し上げたい、取次では申し上げかねる、どうか直接お目通りを、と封書を差し出したという。主君の一大… -
幕末・維新
埋木舎の人が待っていた ―― 安政五年四月、堀田正睦の帰府と二つの難題
そこへ一橋派の旗頭松平慶永の使者が追ってくる。慶永は堀田の入府を待ちかね、わざわざ使いを立てて迎えたのだ、と蘇峰は記す。 -
幕末・維新
箱根を開けて閉じる ―― 蜷川新が伝える小栗上野介の作戦と、その後の六十年
慶応四年(1868年)、上野の彰義隊との戦が済んだあとのことである。 -
幕末・維新
三百年の屋敷を一札で ―― 慶応四年七月十六日、旗本屋敷の没収と江戸人
慶応四年(1868年)七月十六日。江戸城が明け渡されて三か月あまり。新政庁は、江戸にある旧旗本以下の屋敷を没収するという命令を発した。蜷川新はその文面を、この章にそのまま掲げている。
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