史料
維新史料綱要 巻1
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幕末・維新
琉球という痛手 ―― 島津齊彬はいかにして薩摩を継いだか
江戸の島津齊彬の手もとに、薩摩から二通の報せが届いた。一通は島津將曹から島津石見に宛てたものである。琉球は平穏、案じることはない、という趣旨であった。もう一通は、島津豐後と末川近江から、同じ島津石見に宛てた内報である。そ… -
幕末・維新
不眠晩景の乱筆 ―― 徳川斉昭、大奥老女姉小路への一書
弘化三年(1846年)八月朔日。夜が更けても灯が消えない。宛名は大奥の老女、姉小路。末尾に一句が添えられていた。眠れぬ夜に書いた乱れた筆跡、という意味である。 -
幕末・維新
結城寅寿の十六年 ―― 水戸党争と徳川斉昭の失脚
藤田東湖は水戸の竹隈に閑居していた。 -
幕末・維新
徳川斉昭の復活 ―― 望遠鏡から後楽園の舟まで
弘化二年(1845年)七月。用向きは、阿部の所蔵する望遠鏡を借りたい、というものである。 -
幕末・維新
長崎の三か月 ―― 露使プチャーチンと幕府の先送り
検使の大井三郎助が沖へ出た。向かう先は、港内に繋がれたロシア船。告げるべきことは、一つだけだった。将軍徳川家慶の死である。 -
幕末・維新
下田に戻った条約 ―― アダムスの批准交換
伊豆下田の沖、神子元島の向こうに黒い船影が一つ。 -
幕末・維新
空谷の跫音 ―― 嘉永六年、諸大名の対米意見書と高島喜平の開国論
嘉永六年(1853年)十月。高島喜平。かつて四郎太夫秋帆と名乗り、西洋砲術を日本に伝えた人物である。 -
幕末・維新
和の一字は封じて ―― 嘉永六年七月、徳川斉昭という切り札
嘉永六年(1853年)七月三日、水戸邸へ一通の達しが下った。海岸防禦筋につき用があるので、しばらくのあいだ隔日ほど登城されたい。隠居の身であるから表通りには及ばない、平川口から入り、風呂屋口から御控所へ通られよ。老中阿部…
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