MENU
幕末・維新
江戸
明治
戦国
史料解説
このサイトについて
日本語
|
English
幕末・維新
江戸
明治
戦国
史料解説
このサイトについて
日本語
|
English
ホーム
投稿
1860
年
1860
安政七年・万延元年
← 1859
安政六年
年表
万延二年・文久元年
1861 →
幕末・維新
和の一字は封じて ―― 嘉永六年七月、徳川斉昭という切り札
嘉永六年(1853年)七月三日、水戸邸へ一通の達しが下った。海岸防禦筋につき用があるので、しばらくのあいだ隔日ほど登城されたい。隠居の身であるから表通りには及ばない、平川口から入り、風呂屋口から御控所へ通られよ。老中阿部…
2026.09.08
幕末・維新
烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか
慶應四年(1868年)四月一日。上州権田村、榛名山麓の東善寺。高崎、安中、小幡の三藩の兵、およそ八百人が山腹の寺に迫った。彼らが求めたのは、寺に暮らす一人の旧幕臣との面談だった。小栗上野介忠順。前の勘定奉行。四十二歳。
2026.09.08
1
閉じる