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幕末・維新
暴政実に御歎息あり ―― 安政六年五月、四公落飾のあとに下った宸翰と賞賜
奉書の切紙を、美濃紙で包んだもの。内々の仰せを伝える、と断り書きがある。 -
幕末・維新
空谷の跫音 ―― 嘉永六年、諸大名の対米意見書と高島喜平の開国論
嘉永六年(1853年)十月。高島喜平。かつて四郎太夫秋帆と名乗り、西洋砲術を日本に伝えた人物である。 -
幕末・維新
和の一字は封じて ―― 嘉永六年七月、徳川斉昭という切り札
嘉永六年(1853年)七月三日、水戸邸へ一通の達しが下った。海岸防禦筋につき用があるので、しばらくのあいだ隔日ほど登城されたい。隠居の身であるから表通りには及ばない、平川口から入り、風呂屋口から御控所へ通られよ。老中阿部… -
幕末・維新
烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか
慶應四年(1868年)四月一日。上州権田村、榛名山麓の東善寺。高崎、安中、小幡の三藩の兵、およそ八百人が山腹の寺に迫った。彼らが求めたのは、寺に暮らす一人の旧幕臣との面談だった。小栗上野介忠順。前の勘定奉行。四十二歳。
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