人物
井伊直弼いい なおすけ
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幕末・維新
将軍の息のあるうちに ―― 安政五年七月五日、井伊直弼の尾水越処分
井伊直弼はいつもの刻限に登城し、この日の退出は夜九半時、午前一時に及んだ。理由は、将軍徳川家定の脚気が悪化したことであった。「公方樣御脚氣之御症にて、御勝不被遊」——将軍の脚気は重く、すぐれない、というのである。その夜、… -
幕末・維新
「奉恐入候」の楯 ―― 安政五年六月二十三日、徳川慶喜の井伊直弼詰責
安政五年(1858年)六月二十二日。江戸城から退出した一橋家の家老が、屋敷に戻って主人に一枚の書取を差し出した。幕府が勅許を待たずに米国との条約に調印した、という達しである。 -
幕末・維新
御違勅の三字 ―― 安政五年六月、徳川斉昭の建言と井伊直弼の答書
江戸の水戸藩邸で、徳川斉昭が一通の伺書に筆を入れている。その返事である。 -
幕末・維新
五月三日の封事 ―― 川路聖謨の立儲意見書と三日後の左遷
安政五年(1858年)五月三日。差し出す先は老中の堀田正睦まで。川路はもとよりその覚悟で、こうしたものだろう、と蘇峰は見る。 -
幕末・維新
井伊直弼大老となる ―― 安政五年四月、四時間の密談と就任の日
正午をまわった頃である。井伊邸に一人の来客があった。徒頭の薬師寺元真。御客番の小野田小一郎が応対に出る。「御上之御一大事」を申し上げたい、取次では申し上げかねる、どうか直接お目通りを、と封書を差し出したという。主君の一大… -
幕末・維新
埋木舎の人が待っていた ―― 安政五年四月、堀田正睦の帰府と二つの難題
そこへ一橋派の旗頭松平慶永の使者が追ってくる。慶永は堀田の入府を待ちかね、わざわざ使いを立てて迎えたのだ、と蘇峰は記す。 -
幕末・維新
春風の宰相 ―― 阿部正弘と、嘉永五年十一月の予報
嘉永五年(1852年)十一月二日。江戸の薩摩藩邸で、島津斉彬が筆を執った。宛先は鹿児島にいる弟の島津久光。 -
幕末・維新
暴政実に御歎息あり ―― 安政六年五月、四公落飾のあとに下った宸翰と賞賜
奉書の切紙を、美濃紙で包んだもの。内々の仰せを伝える、と断り書きがある。 -
幕末・維新
結城寅寿の十六年 ―― 水戸党争と徳川斉昭の失脚
藤田東湖は水戸の竹隈に閑居していた。
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