幕末・維新– category –
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幕末・維新
焼船は借りない ―― 嘉永六年十二月、川路聖謨の露艦往訪と返翰交付
議題は二日後のことである。前日十四日、長崎西御役所でロシア使節を饗応した。料理のあと長崎奉行らが着座し、「通辯之もの大はたらき」、つまり通訳が大いに働いて、午後四時過ぎに散会した。帰る時も船からは音楽が鳴り、三本の橋には… -
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五年も十年もぶらかす ―― 嘉永六年六月、駒込邸で徳川斉昭に告げられた幕府の本音
徳川斉昭は、甲冑をつけた八郎麻呂が杉馬場で馬に乗るのを見物していた。七つ半、午後五時頃である。知らせは馬場まで届いた。同時に、老中阿部正弘からの状箱も届いた。自分が出向く代わりに二人を差し出す、という内密の書付である。「… -
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井伊直弼大老となる ―― 安政五年四月、四時間の密談と就任の日
正午をまわった頃である。井伊邸に一人の来客があった。徒頭の薬師寺元真。御客番の小野田小一郎が応対に出る。「御上之御一大事」を申し上げたい、取次では申し上げかねる、どうか直接お目通りを、と封書を差し出したという。主君の一大… -
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埋木舎の人が待っていた ―― 安政五年四月、堀田正睦の帰府と二つの難題
そこへ一橋派の旗頭松平慶永の使者が追ってくる。慶永は堀田の入府を待ちかね、わざわざ使いを立てて迎えたのだ、と蘇峰は記す。 -
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春風の宰相 ―― 阿部正弘と、嘉永五年十一月の予報
嘉永五年(1852年)十一月二日。江戸の薩摩藩邸で、島津斉彬が筆を執った。宛先は鹿児島にいる弟の島津久光。 -
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箱根を開けて閉じる ―― 蜷川新が伝える小栗上野介の作戦と、その後の六十年
慶応四年(1868年)、上野の彰義隊との戦が済んだあとのことである。 -
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三百年の屋敷を一札で ―― 慶応四年七月十六日、旗本屋敷の没収と江戸人
慶応四年(1868年)七月十六日。江戸城が明け渡されて三か月あまり。新政庁は、江戸にある旧旗本以下の屋敷を没収するという命令を発した。蜷川新はその文面を、この章にそのまま掲げている。 -
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天地人三巻の一夜 ―― 万延元年、渡米前の小栗忠順が藤川整斎の皆伝を得た
万延元年(1860年)正月。江戸下谷、一軒の隠宅の門を、夜半に叩く者があった。客は馬を飛ばして来た目付の小栗豊後守忠順である。 -
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淺薄なる罵詈 ―― 蜷川新が小栗の仏国借兵論を弁明する
幕府が仏国へ派遣した使節、池田筑後守が滞在していた年である。この年、仏国政府の側から一つの方策が幕府に持ち出された、と蜷川新は記す。長州を討つのに、仏国の海軍を使ってはどうか。 -
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喉を貫いた一発 ―― 慶応四年三月十五日、川路聖謨の自害を蜷川新はどう記したか
慶応四年(1868年)三月十五日の夜。江戸番町の屋敷で、一人の老人が起き上がった。半身不随の身である。沐浴し、礼服を着け、家人を退けた。遺書を書き、左手に兼貞の刀を取る。 -
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土蔵付き売家の栄誉 ―― 小栗忠順と横須賀製鉄所の起こりを蜷川新はどう伝えたか
先年、佐賀から幕府に納められた蒸汽修船器械が一式ある。それを使って、ひと骨折ってくれないか、という話である。 -
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四壁皆攘夷党なり ―― 文久三年五月、徳川慶喜の東下と辞表提出
近江の土山駅。刺客数人が、岡部駿河守の旅館を襲った。駿河守は難を逃れた。だが前途を案じた徳川慶喜は、行列に空の駕籠を残し、駿河守を先に発たせた。尊攘派が駿河守を、井伊、安藤の遺志を継ぐ者と信じていたためだ、と蘇峰は『徳川…
