史料
近世日本国民史 彼理来航以前の形勢
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幕末・維新
春風の宰相 ―― 阿部正弘と、嘉永五年十一月の予報
嘉永五年(1852年)十一月二日。江戸の薩摩藩邸で、島津斉彬が筆を執った。宛先は鹿児島にいる弟の島津久光。 -
幕末・維新
島津斉彬の忍耐 ―― 高崎崩れと血染めの肌着
嘉永元年十二月十八日(1849年)。薩摩藩の財政を長年一手に握ってきた調所笑左衛門が、血を吐いて死んだ。 -
幕末・維新
琉球という痛手 ―― 島津齊彬はいかにして薩摩を継いだか
江戸の島津齊彬の手もとに、薩摩から二通の報せが届いた。一通は島津將曹から島津石見に宛てたものである。琉球は平穏、案じることはない、という趣旨であった。もう一通は、島津豐後と末川近江から、同じ島津石見に宛てた内報である。そ… -
幕末・維新
徳川斉昭の除姦運動 ―― 弘化元年から嘉永五年まで、水戸藩政をめぐる八年
一通の書状が、水戸藩の下屋敷から老中の阿部正弘のもとへ届く。 -
幕末・維新
不眠晩景の乱筆 ―― 徳川斉昭、大奥老女姉小路への一書
弘化三年(1846年)八月朔日。夜が更けても灯が消えない。宛名は大奥の老女、姉小路。末尾に一句が添えられていた。眠れぬ夜に書いた乱れた筆跡、という意味である。 -
幕末・維新
結城寅寿の十六年 ―― 水戸党争と徳川斉昭の失脚
藤田東湖は水戸の竹隈に閑居していた。 -
幕末・維新
徳川斉昭の復活 ―― 望遠鏡から後楽園の舟まで
弘化二年(1845年)七月。用向きは、阿部の所蔵する望遠鏡を借りたい、というものである。
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