人物
徳川慶篤とくがわ よしあつ
- 別称
- 水戶慶篤
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幕末・維新
虚実に拘らず ―― 安政五年七月二十八日、井伊直弼の駒込邸監守
江戸城の新部屋前溜。京都への特使に決まっていた間部詮勝が、一通の書付を差し出した。「列坐無之」と元本は書く。ほかに同席する者はいなかった。 -
幕末・維新
勅諚回達の二つの案文 ―― 安政六年六月、徳川斉昭が書いて出さなかった手紙
謹慎中の徳川斉昭が、二通の案文を家臣の前に置いた。そこに側用人の久木直次郎と、奥右筆頭取の原田八兵衛が加わった、と蘇峰は記す。 -
幕末・維新
将軍の息のあるうちに ―― 安政五年七月五日、井伊直弼の尾水越処分
井伊直弼はいつもの刻限に登城し、この日の退出は夜九半時、午前一時に及んだ。理由は、将軍徳川家定の脚気が悪化したことであった。「公方樣御脚氣之御症にて、御勝不被遊」——将軍の脚気は重く、すぐれない、というのである。その夜、… -
幕末・維新
御違勅の三字 ―― 安政五年六月、徳川斉昭の建言と井伊直弼の答書
江戸の水戸藩邸で、徳川斉昭が一通の伺書に筆を入れている。その返事である。 -
幕末・維新
徳川斉昭の除姦運動 ―― 弘化元年から嘉永五年まで、水戸藩政をめぐる八年
一通の書状が、水戸藩の下屋敷から老中の阿部正弘のもとへ届く。 -
幕末・維新
結城寅寿の十六年 ―― 水戸党争と徳川斉昭の失脚
藤田東湖は水戸の竹隈に閑居していた。 -
幕末・維新
徳川斉昭の復活 ―― 望遠鏡から後楽園の舟まで
弘化二年(1845年)七月。用向きは、阿部の所蔵する望遠鏡を借りたい、というものである。
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