人物
島津斉彬しまづ なりあきら
- 別称
- 薩州侯
島津斉彬は六月十日、尾張慶勝へ宛てて、今度は老中も大仰天の様子である、今の情勢では水戸老公へ御委任のほかはあるまい、と書き送っている。 記事へ記事の文をそのまま並べています
-
幕末・維新
井伊側の色目鏡 ―― 安政五年十一月、水府事情探聞書と魔手が水戸に及ぶまで
安政五年(1858年)十一月。一綴りの風聞書が、井伊直弼の側に置かれていた。表題は「水府事情探聞書」。 -
幕末・維新
御違勅の三字 ―― 安政五年六月、徳川斉昭の建言と井伊直弼の答書
江戸の水戸藩邸で、徳川斉昭が一通の伺書に筆を入れている。その返事である。 -
幕末・維新
五月三日の封事 ―― 川路聖謨の立儲意見書と三日後の左遷
安政五年(1858年)五月三日。差し出す先は老中の堀田正睦まで。川路はもとよりその覚悟で、こうしたものだろう、と蘇峰は見る。 -
幕末・維新
春風の宰相 ―― 阿部正弘と、嘉永五年十一月の予報
嘉永五年(1852年)十一月二日。江戸の薩摩藩邸で、島津斉彬が筆を執った。宛先は鹿児島にいる弟の島津久光。 -
幕末・維新
島津斉彬の忍耐 ―― 高崎崩れと血染めの肌着
嘉永元年十二月十八日(1849年)。薩摩藩の財政を長年一手に握ってきた調所笑左衛門が、血を吐いて死んだ。 -
幕末・維新
琉球という痛手 ―― 島津齊彬はいかにして薩摩を継いだか
江戸の島津齊彬の手もとに、薩摩から二通の報せが届いた。一通は島津將曹から島津石見に宛てたものである。琉球は平穏、案じることはない、という趣旨であった。もう一通は、島津豐後と末川近江から、同じ島津石見に宛てた内報である。そ… -
幕末・維新
不眠晩景の乱筆 ―― 徳川斉昭、大奥老女姉小路への一書
弘化三年(1846年)八月朔日。夜が更けても灯が消えない。宛名は大奥の老女、姉小路。末尾に一句が添えられていた。眠れぬ夜に書いた乱れた筆跡、という意味である。 -
幕末・維新
空谷の跫音 ―― 嘉永六年、諸大名の対米意見書と高島喜平の開国論
嘉永六年(1853年)十月。高島喜平。かつて四郎太夫秋帆と名乗り、西洋砲術を日本に伝えた人物である。 -
幕末・維新
和の一字は封じて ―― 嘉永六年七月、徳川斉昭という切り札
嘉永六年(1853年)七月三日、水戸邸へ一通の達しが下った。海岸防禦筋につき用があるので、しばらくのあいだ隔日ほど登城されたい。隠居の身であるから表通りには及ばない、平川口から入り、風呂屋口から御控所へ通られよ。老中阿部…
1
