人物
小栗忠順おぐり ただまさ
- 別称
- 小栗上野、小栗上野介、小栗豊後守、豊後守、上野介
ゆかりの地
運営者が撮影した写真-
幕末・維新
引き込む、と小栗は書いた ―― 文久元年七月、対馬から帰った小栗忠順の五通の手紙
手紙の用件は一つ、「今日ふい引込の儀」であった。 -
幕末・維新
箱根を開けて閉じる ―― 蜷川新が伝える小栗上野介の作戦と、その後の六十年
慶応四年(1868年)、上野の彰義隊との戦が済んだあとのことである。 -
幕末・維新
天地人三巻の一夜 ―― 万延元年、渡米前の小栗忠順が藤川整斎の皆伝を得た
万延元年(1860年)正月。江戸下谷、一軒の隠宅の門を、夜半に叩く者があった。客は馬を飛ばして来た目付の小栗豊後守忠順である。 -
幕末・維新
土蔵付き売家の栄誉 ―― 小栗忠順と横須賀製鉄所の起こりを蜷川新はどう伝えたか
先年、佐賀から幕府に納められた蒸汽修船器械が一式ある。それを使って、ひと骨折ってくれないか、という話である。 -
史料解説
墓の木は長じて ―― 昭和三年十二月、小栗上野介をめぐる六篇の反響
昭和三年(1928年)十二月十二日、大阪毎日新聞の紙上。史家の花見朔己が、一冊の新刊を論じている。書名は『維新前後の政争と小栗上野の死』。著者は法学博士の蜷川新。 -
幕末・維新
烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか
慶應四年(1868年)四月一日。上州権田村、榛名山麓の東善寺。高崎、安中、小幡の三藩の兵、およそ八百人が山腹の寺に迫った。彼らが求めたのは、寺に暮らす一人の旧幕臣との面談だった。小栗上野介忠順。前の勘定奉行。四十二歳。
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