人物
間部詮勝まなべ あきかつ
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幕末・維新
井伊の威嚇政策-安政大獄の責任者井伊の立場屏息し ―― 嘉永六年三月から明治二年三月まで
昭和六年(1931年)二月二十一日、大森山王草堂。修史の行程は規則正しく進んでいる、とそこに記す。 -
幕末・維新
所司代の良心 ―― 安政五年九月、酒井忠義の警告書と長野義言の肉薄
安政五年(1858年)九月二十五日、京都。所司代酒井忠義の公用人三浦吉信(七兵衛)が、前内府三条実万の邸に一通の文書を持参した。堂上の各卿に回してほしい、という依頼つきである。 -
幕末・維新
私一本立 ―― 安政五年十一月、孝明天皇の宸翰と間部の年限案
つまり、京都の首尾を喜び報せる手紙である。井伊はその朝のうちに目を通した。 -
幕末・維新
鎖国に引き戻す、という空手形 ―― 安政五年十二月三十日、間部詮勝の参内と宣達書
安政五年十二月三十日(1859年)。十月二十四日の最初の参内では、天皇に「御小恙」があるという理由で、ただ天盃を賜っただけだった。今回はちがう。 -
幕末・維新
間部詮勝の参内と言上書付 ―― 安政五年十月、将軍宣下の前日
京都は早朝から夕立に見舞われ、雷が鳴った。巳の刻、午前十時の前になって、ようやく空が晴れた。 -
幕末・維新
筋書の作者は浅慮でなかった ―― 安政五年六月、間部詮勝と酒井忠義の上洛決定
安政五年(1858年)六月十二日。 -
幕末・維新
虚実に拘らず ―― 安政五年七月二十八日、井伊直弼の駒込邸監守
江戸城の新部屋前溜。京都への特使に決まっていた間部詮勝が、一通の書付を差し出した。「列坐無之」と元本は書く。ほかに同席する者はいなかった。 -
幕末・維新
間部詮勝の欺瞞策 ―― 安政五年十月、小御所の書付と「うそばかり」
小御所の下段。同席は武家伝奏の広橋光成と万里小路正房。引き取ったのは夜五つ時、午後八時であった。 -
幕末・維新
将軍の息のあるうちに ―― 安政五年七月五日、井伊直弼の尾水越処分
井伊直弼はいつもの刻限に登城し、この日の退出は夜九半時、午前一時に及んだ。理由は、将軍徳川家定の脚気が悪化したことであった。「公方樣御脚氣之御症にて、御勝不被遊」——将軍の脚気は重く、すぐれない、というのである。その夜、… -
幕末・維新
「奉恐入候」の楯 ―― 安政五年六月二十三日、徳川慶喜の井伊直弼詰責
安政五年(1858年)六月二十二日。江戸城から退出した一橋家の家老が、屋敷に戻って主人に一枚の書取を差し出した。幕府が勅許を待たずに米国との条約に調印した、という達しである。 -
幕末・維新
御違勅の三字 ―― 安政五年六月、徳川斉昭の建言と井伊直弼の答書
江戸の水戸藩邸で、徳川斉昭が一通の伺書に筆を入れている。その返事である。
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