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慶応

  • 1868年(慶應四年)の年代板。幕末・維新。烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか
    幕末・維新

    烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか

    慶應四年(1868年)四月一日。上州権田村、榛名山麓の東善寺。高崎、安中、小幡の三藩の兵、およそ八百人が山腹の寺に迫った。彼らが求めたのは、寺に暮らす一人の旧幕臣との面談だった。小栗上野介忠順。前の勘定奉行。四十二歳。
    2026.09.08
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