年代
慶応
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幕末・維新
箱根を開けて閉じる ―― 蜷川新が伝える小栗上野介の作戦と、その後の六十年
慶応四年(1868年)、上野の彰義隊との戦が済んだあとのことである。 -
幕末・維新
三百年の屋敷を一札で ―― 慶応四年七月十六日、旗本屋敷の没収と江戸人
慶応四年(1868年)七月十六日。江戸城が明け渡されて三か月あまり。新政庁は、江戸にある旧旗本以下の屋敷を没収するという命令を発した。蜷川新はその文面を、この章にそのまま掲げている。 -
幕末・維新
淺薄なる罵詈 ―― 蜷川新が小栗の仏国借兵論を弁明する
幕府が仏国へ派遣した使節、池田筑後守が滞在していた年である。この年、仏国政府の側から一つの方策が幕府に持ち出された、と蜷川新は記す。長州を討つのに、仏国の海軍を使ってはどうか。 -
幕末・維新
喉を貫いた一発 ―― 慶応四年三月十五日、川路聖謨の自害を蜷川新はどう記したか
慶応四年(1868年)三月十五日の夜。江戸番町の屋敷で、一人の老人が起き上がった。半身不随の身である。沐浴し、礼服を着け、家人を退けた。遺書を書き、左手に兼貞の刀を取る。 -
幕末・維新
土蔵付き売家の栄誉 ―― 小栗忠順と横須賀製鉄所の起こりを蜷川新はどう伝えたか
先年、佐賀から幕府に納められた蒸汽修船器械が一式ある。それを使って、ひと骨折ってくれないか、という話である。 -
幕末・維新
烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか
慶應四年(1868年)四月一日。上州権田村、榛名山麓の東善寺。高崎、安中、小幡の三藩の兵、およそ八百人が山腹の寺に迫った。彼らが求めたのは、寺に暮らす一人の旧幕臣との面談だった。小栗上野介忠順。前の勘定奉行。四十二歳。
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