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幕末・維新
井伊直弼大老となる ―― 安政五年四月、四時間の密談と就任の日
正午をまわった頃である。井伊邸に一人の来客があった。徒頭の薬師寺元真。御客番の小野田小一郎が応対に出る。「御上之御一大事」を申し上げたい、取次では申し上げかねる、どうか直接お目通りを、と封書を差し出したという。主君の一大… -
幕末・維新
埋木舎の人が待っていた ―― 安政五年四月、堀田正睦の帰府と二つの難題
そこへ一橋派の旗頭松平慶永の使者が追ってくる。慶永は堀田の入府を待ちかね、わざわざ使いを立てて迎えたのだ、と蘇峰は記す。 -
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春風の宰相 ―― 阿部正弘と、嘉永五年十一月の予報
嘉永五年(1852年)十一月二日。江戸の薩摩藩邸で、島津斉彬が筆を執った。宛先は鹿児島にいる弟の島津久光。 -
幕末・維新
四壁皆攘夷党なり ―― 文久三年五月、徳川慶喜の東下と辞表提出
近江の土山駅。刺客数人が、岡部駿河守の旅館を襲った。駿河守は難を逃れた。だが前途を案じた徳川慶喜は、行列に空の駕籠を残し、駿河守を先に発たせた。尊攘派が駿河守を、井伊、安藤の遺志を継ぐ者と信じていたためだ、と蘇峰は『徳川… -
幕末・維新
鯨海酔侯の入京 ―― 文久三年正月、山内豊信と高瀬川の小橋の首
文久三年(1863年)正月十日。品川沖に、一隻の汽船が錨を下ろしていた。大鵬丸。 -
幕末・維新
島津斉彬の忍耐 ―― 高崎崩れと血染めの肌着
嘉永元年十二月十八日(1849年)。薩摩藩の財政を長年一手に握ってきた調所笑左衛門が、血を吐いて死んだ。 -
幕末・維新
和の一字は封じて ―― 嘉永六年七月、徳川斉昭という切り札
嘉永六年(1853年)七月三日、水戸邸へ一通の達しが下った。海岸防禦筋につき用があるので、しばらくのあいだ隔日ほど登城されたい。隠居の身であるから表通りには及ばない、平川口から入り、風呂屋口から御控所へ通られよ。老中阿部…
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