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幕末・維新
井伊の威嚇政策-安政大獄の責任者井伊の立場屏息し ―― 嘉永六年三月から明治二年三月まで
昭和六年(1931年)二月二十一日、大森山王草堂。修史の行程は規則正しく進んでいる、とそこに記す。 -
幕末・維新
井伊側の色目鏡 ―― 安政五年十一月、水府事情探聞書と魔手が水戸に及ぶまで
安政五年(1858年)十一月。一綴りの風聞書が、井伊直弼の側に置かれていた。表題は「水府事情探聞書」。 -
幕末・維新
喉を貫いた一発 ―― 慶応四年三月十五日、川路聖謨の自害を蜷川新はどう記したか
慶応四年(1868年)三月十五日の夜。江戸番町の屋敷で、一人の老人が起き上がった。半身不随の身である。沐浴し、礼服を着け、家人を退けた。遺書を書き、左手に兼貞の刀を取る。 -
幕末・維新
土蔵付き売家の栄誉 ―― 小栗忠順と横須賀製鉄所の起こりを蜷川新はどう伝えたか
先年、佐賀から幕府に納められた蒸汽修船器械が一式ある。それを使って、ひと骨折ってくれないか、という話である。
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